イワキの歩み
1111 創業期
株式会社イワキ
誕生の瞬間
1956年(昭和31年)4月10日、株式会社イワキがこの世に誕生しました。
社長は藤中義昭、27歳。2万5千円の元手でのスタートでした。最初は知人の事務所の一角を間借りしていましたが、その後、同じビルの一室を借りることができ、名実ともに一国一城の主となったのです。場所は神田の旭町でした。
創業間もなく訪れた
最大のピンチ
理化学機器商社としてスタートしたイワキが、次なるステップとして「メーカー」になるべく奮闘していた1959年(昭和34年)、早くも最初の危機に見舞われます。予定していた大口顧客からの入金が遅れたために、資金繰りがおかしくなってしまったのですが…。
イワキ、
ついに自社工場を持つ!
その試練を乗り越え、商社から「メーカーへの道」を歩き始めたイワキは、理化学機器「シェーカー」の自社開発に乗り出します。その『KM式万能シェーカー』は改良に改良を重ね、イワキのロングセラー商品として成長していきました。その後、売れ行きが好調なことに自信を得て外部生産をやめ、自社で組立てすることを決断します。時に1962年(昭和37年)、ついに念願の自社工場の誕生です!
1111 転換期(商社からメーカーへ)
『ケミカルポンプ』の
自社製造に乗り出す
初めての自社工場を建設したイワキは、その後数年のうちに隣接地を借り受け、2階建て延べ50坪の寮付きの工場も増築するまでになります。ちなみに、この建物は長い間独身社員の巣となり「練馬寮」として愛され続けることになりました。
一方、事業展開の方では、初めての自社商品『KM式万能シェーカー』が大ヒットを飛ばす中、次なる自社商品として浮上してきたのが、「ケミカルポンプ」だったのです。これまでもケミカルポンプの仕入れ販売はすでに行っていましたが、次に自社製造するならこれだろうと、白羽の矢を立てたわけです。後に「ケミカルポンプ」がイワキという会社の生命線になっていくことを思うと、この時の決断がいかに重要なものだったかがわかります。
ジュース自販機向け
『ラボポンプ(LP-1)』が
空前の大ヒット!
ケミカルポンプメーカーとして小さな一歩を踏み出したイワキが、最初にまとまったご注文をいただいたのが、ジュース自販機向けに出た樹脂製の渦巻きポンプ「ラボポンプ(LP-1)」でした。同製品は時流に乗って、空前の大ヒットとなりました。
ついに念願の“新築ビル”に
本社移転
1963(昭和38)年、初めてケミカルポンプの新聞広告を出し、日本化学会付設展示会へも初出展を果たしたイワキ。
それからは、数々の展示会に出展を行い「ケミカルポンプのイワキ」を業界に猛烈にアピールしていきましたが、その戦略はみごとに的中し、同年には旭町にあるモルタル塗りの古い建物から岩本町の新築ビルに移転することができました。
続々と拠点を固め、
イワキ独自の営業戦略を展開
翌1964年(昭和40年)には東京国際見本市に出展、そして1966年(昭和41年)には、埼玉県入間郡三芳村に東京工場(現技術センター)を新設し、イワキは次なる夢の実現に向かって足場を固めていきます。当時社員は40人近くになっていましたが、中でも「サムライ揃い」と言われた営業部の活躍は特筆すべきものがありました。
イワキ営業マンの血がかよった「営業部 部則」誕生
1964(昭和39)年、日本中に「ケミカルポンプ」を広めようと必死になっていたイワキ。連日のように、営業部員全員によるブレーンストーミングが行われました。それぞれの経験や新たな決意が整理され、それらが自然と織り成され、「営業部 部則」として形づくられていきました。
1111 拡大期
第1次販売網、代理店の獲得
当時、競合他社の販売体制を調査した結果、ケミカルポンプを扱うメーカーのほとんどが直販体制をとっていることがわかりましたが、まだ組織として動き出したばかりのイワキが同じ体制を取っても勝ち目がないと判断し、代理店体制と直販体制の2本柱で行くことを決断します。
とりあえず最初のステップは「代理店」を獲得すること。早速代理店探しの全国行脚が始まりました。
写真の自動現像機向けケミカルポンプで、さらなる快進撃へ
「将来明るいケミカルポンプ業界で、イワキとパートナーシップを組みませんか!?」「イワキとともにケミカルポンプのパイオニアとなりましょう!」と、熱い営業を重ね、少しずつ販売網を広げていきましたが、そんな中、イワキオリジナル「写真自動現像機向けケミカルポンプ」が誕生し、大ヒットを飛ばします。
営業所設立と第2次販売網拡大
得意の営業力を持って、「写真自動現像機向けケミカルポンプ」の販路拡大に燃えるイワキ。この時確立したシェアの強さのおかげで、その後イワキのケミカルポンプは、自動現像機向けとして、40年近くも国内のトップシェアを維持することになります。一方、1967(昭和42)年ころまでに、代理店契約による販売網はひとまず整っていましたが、次にイワキの直販拠点となる営業所設立に着手しました。 いよいよ第2次販売網拡大! 直接販売を全国に広げる好機到来です。
直販拠点誕生、全国へ販売網を広げる
1968(昭和43)年1月4日、ついにイワキ最初の直販拠点として「大阪営業所」が誕生します。事務所は大阪の北浜にある味の素ビルの新館2階。所員は全部で9人でした。この3年後には、初年度の約2倍、全社売上げの約15%の成果をあげるまでに成長することになります。
翌年の1969(昭和44)年には、大阪営業所に次いで第2の直販拠点として名古屋営業所が開設されました。
その後、第2次販売網拡大としての営業所設立はハイペースで進んでいきました。営業所の責任者として、本社営業のやり手がどんどん外へ出ていくことになりましたが、さらなる目標達成を目指して、販売網を全国に広げる必要があったのです。
1111 現在
その後も成長を続け、アジア・ヨーロッパ・アメリカなど世界各地に販売・生産拠点を構えて国内だけでなく世界中を網羅して製品を供給しています。